2021年3月21日(日) 主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

使徒3:1~10

​【タイトル】

「生まれつき」でなくてよい

【導入】

 中国雲南省の少女の話(3歳の時の事故で下半身を失ったが、家が貧しいために手術を受けられず、下半身代わりに半分に切ったバスケットボールをはめていた。その後、事情を知った北京の病院で無償の手術を受け、けることが出来、リハビリに励む。やがて水泳を覚え2012年の北京パラリンピックをめざすまでになった。)。その他、生まれながらに下半身がない状態で生まれた世界的伝道者ニック・ヴィチッチの話々、生まれついて、或いは人生の途次における事故や病気で障害を受けながらもそれを克服して行く人がいる。また、心身の障害だけでなく、生まれついた境遇や環境により試練多い人生を歩んでも成功して行く人もいる。一方で、ハンディや困難の多い生まれや境遇を恨んで、人生を駄目にする人もいる。聖書にもそのような人物が登場する。ヨブである。彼は受けた苦しみのために自分の人生を呪ったのである。

ヨブ3:1~4:「その後、ヨブは口を開いて自分の生まれた日をのろった。ヨブは声を出して言った。私の生まれた日は滅びうせよ。『男の子が胎に宿った。』と言ったその夜も。その日はやみになれ。神もその日を顧みるな。光もその上を照らすな。」

ヨブ3:11~12:「なぜ、私は、胎から出たとき、死ななかったのか。なぜ、私は、生まれ出たとき、息絶えなかったのか。なぜ、ひざが私を受けたのか。なぜ、私の吸う乳房があったのか。」

 人はこのように、余りに過酷な環境や耐えがたい試練、それも生まれついてそのような境遇にあると、人は絶望するし、生きる気力を失う。しかし、聖書は「そうでなくてよい。」と教えるのです。生まれつきの状態がどうであっても、また生まれた時代、生まれた環境がどうであっても、「そのままの状態に甘んじ、そのままでなくてもよい。」というのです。私たちはしばしば状況が困難だと、それも生まれつきのことだと、「仕方がない、これが運命だ、「こういう星の下に生まれて来たのだから」と諦めたり、きっと神様はこのことを通して私たちに何かを教えようとしているのだ。」と、自分の中で理屈をつけて収めようとする。しかし、聖書は本当にそのようなことを言っているのだろうか?―神様のみこころはそうなのだろうか?

◎今日はこのように、困難なこと、特に「生まれつき」困難にある時、その人に対して神が望んでいることは何だろうか?―諦めることなのか、それとも、…。―聖書から一緒に学んで行こう。

【本論】

 ここに生まれつき足のきかない男がいる。この人は毎日、「美しの門」という、エルサレム神殿に入って行く一つの門のところで、そこを通る人から施しを受けて生きていた。それも、人に運んでもらっていた。そうしなければ生きて行くことが出来なかったからである。それも、毎日である。「この奇蹟によっていやされた男は四十歳余りであった。」(4:22)とあるので、20歳から始めたとしても20年余り、ずーっとこのような生活を続けていたのである。それ以外の生き方など考えられない人生だった。

引用:今日の階級格差社会と似ている。現在、年収186万以下の最下層の貧困階級は900万人。一旦貧困生活に陥ったら、そこから抜け出られないように感じている。

◎そんな彼に奇跡が起きた。生まれつきそれしかないと思っていた人生が全く新しく変えられたのである。彼を知っていた人々も驚き呆れるような出来事が彼に起こったのである。

Ⅴ9~Ⅴ10:「…。そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。」

それは、ペテロとヨハネに施しを求めたところから始まったのです。

Ⅴ3~Ⅴ8:「彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、『私たちを見なさい。』と言った。男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。」

 そこには神様の御姿、御心が現わされている。

(1)愛と憐れみの神様

 愛は無関心ではなく、その人のために一番必要なこと、最善をする。ペテロとヨハネはその男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。恐らく、これまでの人生で、そのように彼に声をかける人はいなかっただろう。神様は私たちを愛している。その愛は「あなたは私にとって一番大切な人です。私のいのちを与えても惜しくないほど大切な人です。」という思いを持って愛するほどの愛です。