2021年7月4日(日) 主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

Ⅱコリント5:17、ルカ5:27~39

【タイトル】

「真の悔い改めは真に人を新しくする」


【序論】

 今日も、今年の年間聖句である「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」(黙示21:5)に関連してメッセージを語る。今日の最初の聖句であるⅡコリント5:17は、年間聖句の現在版と言ってもよいみことばです。黙示21:5は、やがて実現する「私たちの救いの完成」を指しているが、Ⅱコリント5:17のみことばは、その完成に至るまでの現在のことが語られている。私たちは今、「新しく造られた」という意味では完全に救われて新しくされた者だが、同時に、今もその完成形に向かって新しくされ続けているということでもある。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って」の「過ぎ去って」というのは、過去一回限りの完了したことを言っているが、あとの「見よ、すべてが新しくなりました。」の「すべてが新しくなりました。」は現在進行形のことを言っているからである。そしてそのことは、「だれでもキリストにあるなら」とあるように、イエス様との関係で起こることです。


※イエス様のおられる所、またイエス様が来られる所では、このように何か「新しい」ことが起こるのです。この「新しい」という言葉は、時間的な新しさを指す「ネオス」ではなく、本質的に新しいということ、つまり「今までにない新しいこと、新奇なこと、尋常ではないこと」という意味を持つ「カイノス」なのです。何故イエス様のおられる所では、またイエス様が来られるとそのようなことが起こるのか?―それは、イエス様は尋常ではない人だから、この世とは、私たちとは異なって常に新しい人だからです。「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(ヘブル13:8)であり、100%人であられ、100%神であるという、私たちとは完全に異なる方です。だから、イエス様が来られると、そのように新しいことが起こるのです。「この後」(Ⅴ27)と言われている時の5:17~26のところでもそのことが起きた。寝床に寝たままイエス様のいる所に連れて来られた一人の男を癒された時、「人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、『私たちは、きょう、驚くべきことを見た。』」(Ⅴ26)と言ったように、今まで見たこともない、驚くべき新しいことが起こったのです。今日の箇所でもそうである。当時の人の考えや常識、こうあるべき姿から見たら、それとは異なる新しいことが起きていた。それは何か?そこから、今日のメッセージ、「真の悔い改めは、真に人を新しくする。」というメッセージを語りたいと思う。


【本論】

 イエス様が「わたしについて来なさい。」(Ⅴ27)と言ってご自分の弟子にしたレビという人は、イエス様を家に迎えて宴会を開いた。何故か?―それは、彼は生き方や考え方を変え、つまり悔い改めてイエス様に従い、救われたからです。彼はその救われた喜びを表し、その喜びを仲間の取税人やほかの人たちにも分かち合おうと、イエス様を招いて宴会を開いたのである。ところがそこにその場に不釣り合い人たちがいた。パリサイ人やパリサイ派の律法学者たちである。


 ここで少しパリサイ人について勉強しておく。私たちはパリサイ人というのは律法主義者だと理解しているが、正確に言うならば、律法を神の言葉とするなら、彼らは本当の意味で律法を大切にする人々ではなく、律法を重んじるふりをした、或いは、自分では律法を重んじているつもりでも、実質はそうではない、自分の考えや自分というものを重んじている利己主義者なのです。どういうことかと言うと、それはパリサイ人が生まれた歴史から見て行かなければならない。


 パリサイ人はバビロン捕囚を経験したユダヤ人の中から生